令和6年の稽古納めでした。例年であれば更に一週あるのですが、施設の修繕を行うとのことで短縮になりました。これにより聖なる夜を迎える前に稽古を納める形となり、いささか年末という気分に至らず、どこか拍子抜けをするような感覚を覚えました。しかし、時にはこんようなことも良いように思えました。その理由は、日頃にゆっくりと過ごす週末というものがなく、稽古を終え、疲れて迎える日曜日となるからです。よって、このような時には…と思うのですが、急に予定が空くも、身の振り方に困りもします。週末の夜は稽古!と決まっていたからで、この時間に何をすべきかと迷うのですが、せっかくですから、日頃にはできない過ごし方をされてほしくもあり、それでいて別の場で稽古を…と思ったりも致しますから困ったものです。
思い起こせば、今年は春先に多くの新入生を迎えました。それは、まるで新学期のごとく、同じ学年の子が多く入会され、共に稽古してまいりました。夏には進級試験を行い、一生懸命に形を覚えました。秋には道場内においての大会を開催し、形と組手とで戦いました。共に稽古する中での友達、仲間が試合をする相手になります。これはちょっとした体験になったかと思っています。いわゆるライバルということですね。このように様々な体験を経ては成長されたく、一つの良かれ機会の場と願うは、叶うならば本望です。
時間というものは、油断をしますとあっという間になくなります。その為、時間が過ぎてゆくという感覚ではなく、限られた時間を切り崩してゆくといった認識を持ったならば、振る舞い方が自ずと変わってくるように思います。事実、何かの期日がの先に設定された場合、のんきなままに過ごしてはいられず、どんどん期日が迫ってくるといった感覚になります。その中ですべきことがあるならば、限られた時間という上限が見出され、その有限なる時間が大事になろうと思うのです。捉え方によって状況が変わりも致しますが、適度な追い込みは成長の度合いを加速させ、辛かろうも成長とするならば、きっと乗り越えられ、のちに待つべく結果を得るものと信じて疑いません。共に精進し共に成長いたしましょう。